良い研究とは?伊福部昭の人生観に学ぶ

北海道という地に生まれ,長らく林務官として働きながら独学で作曲を行った異色の作曲家,伊福部昭.

有名な「ゴジラ」のテーマよりも,私は「日本狂詩曲」や「交響譚詩」の独特の旋律に驚いたし,CMで流れた「宇宙大戦争」のマーチも大好きだ.YouTubeで検索すると,宇宙大戦争のマーチを延々と100分間リピートし続けるなどという動画もあって,初めて聞いた人でも100分どころか1分で脳裏に焼き付くだろう.

さて,その伊福部の曲だが,日本的というよりアジア的と評されることが多い.歴史の浅い北海道という特殊なフロンティアで生まれ育ち,アイヌ民族の文化に触れる機会も多かったからと言われている.その曲は西洋音楽のセオリーを無視したものであったため,当時のクラシックの権威からは酷評された.だけど伊福部は生涯自分の作風を変えることがなかった.

私はこれまで数多くの偉人と言われた人たち,たとえば,松下幸之助,田中角栄,本田宗一郎,ヘンリー・フォード,ビル・ゲイツなどの語録に興味があって,様々な本を読んできた.確かに素晴らしい言葉や生き方が多いのだが,どれも心酔するまでに至らなかった

ところが,伊福部昭の語録はどれも例外なく私の心にスーッと自然に入り込んできて腑に落ちる.やはり,伊福部が北海道という東京から遠く離れた土地にいたということが,同じように地方で細々と研究している私が共感を得た理由かもしれない.

「真にグローバルたらんとすれば,真にローカルであるべきだ」

日本的あるいは北海道的なローカルな旋律であればこそ,西洋人にも評価してもらえる.西洋のモノマネをしても所詮モノマネにしか過ぎない.事実,伊福部は21歳の時に自ら作曲した「日本狂詩曲」でチェレプニン賞の第1位を受賞した.

ローカルであるべきという考えは,音楽だけでなく工学研究についても十分当てはまるのではないかと私は思う.

たとえば,地方の中小企業の中には,技術的な課題を抱えていても手が回らず改善策を見出せないでいる事例はたくさんある.だけど,地方の大学(特に地方の国立大学)の多くはアカデミズム一辺倒で,言葉は悪いが「旧帝大のモノマネ」をしているところが多い.地元企業のことは眼中にない.

個人的な意見になるが,地方大学はもっと地元企業に目を向け共同研究していくべきではないかと思う.それが結果的には旧帝大とは異なる観点から評価されることにつながっていき,その大学の存在価値につながっていく.

また,そのような課題に地元の特殊性が加わればオンリーワンの研究にもなりうる.たとえば降雪地帯に特化した問題を研究すれば,東京以南の地域では相手にされずとも,北欧やロシアの研究者の目にとまるかもしれない.流行りの研究テーマに取り組むことが,必ずしも世界から注目を集めるわけではない.

真にローカルであることが,真にグローバルたりえるのではないだろうか.

「優れた芸術は芸術らしくない」

伊福部の家学が「老子」であった点も,私の価値観とピタリ符合するのかもしれない.老子の有名な言葉

「上徳は徳とせず,是を以って徳あり.下徳は徳を失わざらんとす,是を以って徳なし.」

つまり,真の徳とは徳のあることを意識せず,わざとらしさのないところにあるという.伊福部はこのことを分かりやすい身近な例として「味噌の味噌くさいのは良い味噌ではない.」と述べており,芸術についても同じであると.

徳という言葉を芸術に当てはめますと,優れた芸術はまず芸術らしくない.それから,第2級の芸術からは,もう,いかにも芸術らしくやるんだけれども,それはもう芸術ではないんだという,そういうのがあります.

無為というのは結局そういう風に・・・人為的なことはしないという意味ですね.何もしないという意味じゃないんですけど,人為的なことをなるべく避けるという.そのために,どうしても低く評価される傾きがあるんですけど

老子の「無為自然」の考え方の真骨頂だ.これには私も強く賛同する.

伊福部が徳を芸術に当てはめたように,私も徳を研究にあてはめてみると,「優れた研究はまず研究らしくない」ということになる.ただの言葉遊びになっては意味ないが,この場合は解釈が成り立つと思う.

おおよそ研究というものは,頭を酷使してロジックを考える理論研究を連想しがちだが,工学系の研究の場合,あまり頭を使わない泥臭い単純作業が多くを占めることもある.そういう単純作業から得られた成果の方が,むしろ優れた論文にまとめることができるものだ.

優秀な研究者ヅラをしてアカデミックな理論研究に取り組んでも,見た目がそれっぽいだけの「味噌くさい味噌」になるだけ.私は学位をとる以前,ある時期までは,このような味噌くさい研究にしがみついていた.そうなったらもはや研究とは言えないだろう.


このような考察に意味があるかはともかく,私自身は自分への戒めという意味で

  • 「真にグローバルたらんとすれば,真にローカルであるべき」
  • 「優れた芸術は芸術らしくない」

この2つを,今後も研究を遂行する上でのベースとして大事にしていきたいと思う.