教養ある人が必ず気をつけている行動とは?

人の生き方,人間関係・・・・とてもめんどくさいものです.だけど,避けられないのも事実.職場の同僚と衝突せずうまくやっていくために自分はどうあるべきか?

先日ふと同じ職場の先輩をみていて思ったことを書きたいと思います.

頭がキレて知識豊富だが無教養な人の典型

私の職場のある先輩は,どんな些細な仕事でも,大変な仕事をしてるかのようにいつも大げさに触れ回ります.そして,常に忙しい忙しいが口癖で,周りの人をうんざりさせています.

でも,この先輩,有名進学校卒なので子供の頃から大変優秀だったんだと思います.大学受験はそれほど成功したとは言えなかったようですが,頭はキレるし,どんな仕事でもほぼ完璧にこなします.

なので,もっと大人しくしていれば,周りが勝手に評価してくれるはずなんですが,黙ってられないのでしょうね.こういう人は頭がよく知識も豊富だけど,教養がないんだなと思ってしまいます.

教養が垣間見える瞬間

それでは,教養が見える人とは一体どんな人でしょうか?

自分を決して飾り立てることなく,常に自然体で普通の行動をしている人のことだと思います.そして,どんなに仕事が出来て周りが評価しても「大したことではないですよ」とサラリと言ってのける人.なんて教養ある人なんだろうと思ってしまいます.

単に謙虚なだけ?と思ってしまうかもしれません.もちろん,生まれ持った性格もありますが,勉強して得られた後天的知識から,謙虚に振る舞うことの大切さを学んだ人がほとんどだと思います.

人の世の行動規範は古典にこそある

老子の言葉に「和光同塵」というのがあります.光,すなわち自分の才覚を和らげ,塵,すなわち世俗と同調せよという意味です.

頭のキレる人の多くは,自分の才覚をひけらかします.何がしかの才能に恵まれている人の多くは,自分の才能をひけらかします.そういう態度が周りの恨みや反感を買うことになり,いずれ身の破滅に繋がります.

そのことに気づかず,一時の優越感に浸りたい欲求を抑えられない人が実際には多いのです.安っぽい自己アピールをすることの危険性は,老子に限らず何千年も昔から現在まで多くの思想家が指摘していることです.

そのような思想家の教えを学問知識として留めておかず,自分の行動規範として落とし込んだ人こそ真に教養のある人と言えるのではないでしょうか?知識は実践を伴わないと何も知らないことと同じです.どんなに頭が良くて知識が豊富でも,自分をひけらかすような人は無教養と言われても仕方ないです.

逆に言うと,自己アピールなど一切せず,一見すると無能者にすら見える人にこそ,才能あふれる真の実力者がいるのかもしれません.

「そんなこと言ってるお前はどーなんだ?」

と言われそうですね.私は教養などありません.でも,無教養の振舞いがどういうものかは知ってるつもりです.だから,そのようなことはしないよう努めてます.