サリエリはなぜ神に見放されたのか?

先日,「ひろさちやの「親鸞」を読む」を読んだ.

相変わらず過激なことを書いているので,時にはむちゃな論理だなーと思ってしまうこともあるけど,一方で氏の著作は宗教の難しい概念を非常にわかりやすく書かれているので,結構好んで読んでいます。

この本に書かれていた一節を読んで,私の中でずーっとあった長年の疑問が氷解しました.

その長年の疑問とは・・・映画「アマデウス」

まず,この映画の内容を簡単に説明しますと・・・

凡庸な作曲家アントーニオ・サリエリ.モーツァルトのような作曲家になりたいと熱心に神に祈り,そのおかげで宮廷作曲家という当時の音楽会の最高の地位にまで上り詰める.

ところが,いくら自分が最高の地位に就いても,自分の作曲した曲がモーツァルトに遠く及ばないことを思い知る.結局は神に裏切られたと解釈し,神の子と言われたモーツァルトを殺害することで神への復讐を試みる.

という内容.ただし、サリエリは実在の人物だけどモーツァルトの死に関しては今だ多くの謎が残されているので,サリエリが暗殺したというのは一説にすぎません。

でも,このような映画を見ていると,西洋人の神に対する考えとか,キリスト教的な教えがどういうものか理解できるのも確かです.日本でも,商売繁盛,合格祈願で神社にお参りするなどよく行われること.なので,映画「アマデウス」を見たときも,

なぜサリエリは神から見放されたのか?

このことがわかりませんでした.当時,中学生だった私が子供心に考えた理由としては

  • サリエリの祈りが足りなかった
  • モーツァルトの方が密かにサリエリ以上にお祈りしていた

これくらいしか思い浮かびませんでした.それで,最初の話に戻りますが,ひろさちやの本に,この長年の疑問が氷解することが書かれていました.わずか一説ですが以下です.

世界のほとんどの宗教は,請求書の祈りではなく領収書の祈りなのです

請求書の祈りとは,自分の希望(合格祈願,商売繁盛,五穀豊穣,家内安全など)を神や仏に祈ることです.

領収書の祈りとは,Thank you! という意味.たとえば、浄土真宗の考え方で言うと、自分のような人間でも弥陀如来の他力を信じれば直ちに極楽に往生する(ことが決まる).信じた段階ですでに救ってもらうことになるので,弥陀如来に対してThank you! という意味を込めて南無阿弥陀仏と唱える.

世界のほとんどの宗教が領収書の祈り、すなわちThank youの祈りだということは,おそらくキリスト教もそうでしょう.でも,キリスト教信者でない私はキリスト教が本当にThank youの祈りなのかわかりませんし,もしそうだったとしても,キリスト教的にThank youをどう解釈すればよいのかわかりません.だけど,もしそうだと仮定すれば,サリエリの話は非常に簡単になります.

ぶっちゃけ、祈っても祈らなくても関係ない

サリエリの祈りは明らかに「請求書の祈り」であって,Thank youの祈りではないからです.

  • サリエリが宮廷作曲家になって権力を持つようになっても・・・
  • モーツァルトの才能に及ばなかったとしても・・・
  • サリエリの曲が次第に忘れ去られても・・・

そんなことは,サリエリの神への祈りとは全く無関係だったはずです.

祈ったって,祈らなくたって,彼は自身の努力で宮廷作曲家になったでしょうし,どんなに努力したってモーツァルトには敵わなかったはずです.それを神に祈りをささげたおかげだと曲解して,時には感謝し,時には恨みを抱き,最後は神への復讐を試みたわけです.神から見放されたわけじゃなく,単に独り相撲だったんですね.神様からすれば逆恨みされたようなもの(笑)これが答えでしょう。

だけど,我々も知らず知らずに,こういう独り相撲に陥ってるかもしれません.初詣に行くと今年はいいことがありますようにと祈願します.受験のときは合格できますようにと神社に絵馬を奉納する.でもそれは逆に言えば,願いに反したときは神様のせいにするという危険性も孕んでいます.

Tour de Suisse par l'Extérieur

熱心な祈りの背景には何があるのか?

ひろさちやの本では,

この世は阿弥陀如来が用意した一つの舞台で,我々はその舞台で演じる俳優である.すべてが阿弥陀如来の描いたシナリオで動いている.幸運がやってこようと不幸がやってこようと,それはその人に与えられた役まわりである.

と書いてました(注:私が解釈した大意なので正確でないかもしれません).損な役回りになるのは正直ゴメンだけど,こればっかりは阿弥陀如来が決めること.どうしようもない.黙って受け入れるしかない.

  • 嫌な仕事をすることになっても
  • 人間関係で疲れても
  • 病気になったとしても
  • 事故に遭ったとしても

それが自分に与えられた役であって,すべて筋書きどおり.善人だとか悪人だとか,そんな娑婆の価値観とは無関係に幸不幸のイベントは起きる.Thank youの祈りは,極楽浄土という死後の世界を確約してもらったことに対する感謝の気持ちを表しているのであれば,娑婆の現世における幸不幸となんら因果関係がない

逆に言えば,阿弥陀如来の他力を信じさえすれば極楽浄土に行けるわけですから,娑婆の世界でどんな生き方をしてもゴールは同じ.だから,幸不幸などという現世の価値観に惑わされずに粛々と生きていくしかないのかもしれません.

熱心な祈りは一見すると信心深さを連想するかもしれませんが,そのことで他人を出し抜き,自分だけご利益を得ようなどという「多額の請求書」をつきつけるような祈りであれば,それはただのエゴイズムです.熱心さに見合うだけの対価が得られないと,逆に神や仏に対する恨みにつながるのではないでしょうか?(サリエリのように)

それでも日本土着の宗教では、古くから五穀豊穣を願って神様を祭ったりしたものですし、それは大和民族だけでなくどこの国でも民族でも同じです。請求書の祈りが悪いとは思いませんが、領収書の祈りも頭の片隅に置いておこうかなと思った次第です。