論文数を稼ぐためにクソジャーナルを利用すべきか?

シェアする

昨年まで科研費でやってきた研究が,どうも思っていたよりいい結果が出ずに終わりました.

全然論文に書けないわけじゃないけど,主要どころのジャーナルだとおそらくリジェクトされてしまうような結果なので,正直言うと扱いに困ってます.どこも出さないと業績にならないし,ほとんど査読なしのジャーナルだとさすがに抵抗がある.

だけど,この業界の評価は,とにかく「数」であることは間違いないです.

ある知り合いの大学教授の最近の業績をみると・・・

で,ふとしたことで,ある知り合いの大学教授の方のここ数年の業績を見る機会があったのです.拝見すると,共著を含めるとかなりの数のフルペーパー.だけどその中であれ?と思ってしまった業績がチラホラ・・・

それは,(名前は伏せますが)あまり評判がよろしくない出版社が出している中国系の某ジャーナル.たとえば,以下のページに悪評高い出版社の名前が多数挙げられていますが,その中にここの出版社の名前が載っています.

さらにいろいろ調べてみると,ここのジャーナルは小学生レベルの作文でも出せば通るという噂が.まともな査読がされていないらしい.

あ,人様の業績を根掘り葉掘り調べ上げたわけではありませんが(笑),数年前に投稿しようと思って検討していたジャーナルがこの中国系の出版社だったので,今回たまたま目に留まったのです.

東大も検索で出てくる!

もちろん,この先生を批判するつもりは全くないです.この業界,一部の有名大学や産総研のようなところは別ですけど,ほとんどは質より量の方が重視されます.それは分かってますから.

だけど,ちょっと興味深いのは,ここの出版社のページで「The University of Tokyo」で検索すると,かなりの件数が引っかかるという点です.もちろん,検索ですから共著も含めて出てきたんだと思いますが,数百件もあるのですべて共著とは考えにくい.

東大でさえ,そういうジャーナルに投稿しているのか?とかなり驚きました.それなら,国内の大学はみんな似たような事情(もっと酷いw)かもしれません.

うまくいかなかった結果をどう調理するか?

実験は失敗の連続.やり方が悪いだけなら方法を変えてやればよい.だけど,ある程度やっているといい結果が出ない本質的な理由が分かってくる.その理由が方法論だけで解決できればよいが,別のところに問題があればアプローチを変える必要がある.

そこまで行き着くと,研究は新たなステップに進むことになる.だけど,問題となるのはそこまで行き着くために得た「失敗した結果」をどう扱うのかという点だ.捨てちゃうのか? いい結果にならなかったという主張で論文を書くのか?

私は医学系の論文を読むこともあるが,医学系だとこういう「いい結果が出ませんでした」という論文を見かけることもある.従来研究で有効と言われている治療法を適用したが,それによって改善された患者はほとんどいなかった,などという主張である.

だけど,工学系ではこういう論文はあまりみかけない.

工学はモノを扱うのが基本にあるわけで,ある程度予想どおりうまくいくのは当たり前という前提があるのかもしれない.

クソジャーナルとはいえ・・・

もちろん,批判もあるだろうけど,ほとんど査読がなされていない悪評高いジャーナルでも「うまくいかなかった結果」を公表する場として,存在意義はあるのかなと私は最近思うようになった(うまくいった結果なら,あえてこのようなジャーナルに投稿する理由はないだろう)

旧帝大の教授のように著名な先生方であれば,このようなジャーナルに名前が載っていると傷が付くかもしれないが,私のような下流の研究者はあまり気にすることない.

むしろ,どんな理由であれ何も業績がないことの方が問題.たとえクソジャーナルでも,投稿する以上は結果をまとめるし文章を書くし英文だって見直す.何も業績がないというのは「そんな事すらしてない」と周りから見られる.

私も最近は研究以外の仕事に追われ,なかなか論文が書けない状況.この状況が続けば「そんな事すらしてない」と評価されるだろう.

いろいろ問題の多いジャーナルがあるのも確かだけど,それも必要悪として考えてもいいのかなと最近思うようになった.だけど,こういったジャーナルはオープンアクセスになっているところが多く掲載料も高額.結局はカネってこと.

国際会議でヨーロッパに1回行くのと,どっちの方がコスパがいいか?国際会議のプロシーディングス程度なら最近は論文扱いされないから,よほど権威のある国際会議でない限りどっちも似たようなものかもしれない.

こんなことを考えるのがオトナになるってことか(笑)




スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク